2003年
以下、古い順
2002年度を見る
2003年4月の巻
3月、4月は、別れと出会いの季節である。冬の間見慣れていた浮寝鳥の群れが、1つまた1つと減っていく。空には、鴨らしき鳥の群れが、北へ飛んでいくのを見かける。やがて、4月中旬には、運河は、また、静けさを取り戻し、「プール」には、カルガモが、羽を休めている姿だけが見かけられるようになる。
「WATARIDORI」という映画が新宿で上映されているのを知った。ちょうど、春の渡りのシーズンには、持って来いと思ったので、さっそく見に行くことにした。この映画は、ストーリーもなければ、人の台詞もない野鳥のドキュメンタリーである。何がすごいかといえば、渡り鳥が、わたる様を、何年もかけて密着取材したものの、映像集なのである。そこには、筋書きが無くても、ドラマが存在する。野生に生きること、そして、「渡り」の厳しさが、描写されている。撮影クルーは、渡し鳥が飛ぶ様を、至近距離で撮影するために、エンジンなどの動力を使わない軽飛行機に乗り、カモやガンの群れと、ずっと行動をともにし、それぞれのドラマを撮影した。また、その軽飛行機を鳥が恐れないように、鳥が雛の頃から、その軽飛行機を、常に横において、慣れさせたという。十数年かかって、撮影された、渡り鳥の生態の生の描写であった。途中、敵に襲われたりはぐれたりする個体がある中で、同じ群れが、北の地を目指し、また、夏になると、同じ沼地に帰ってくる一年のサイクルが、よく把握できた。この映画を撮影されたクルーを、賞賛させていただきたい。
桜は、大方、散ってしまったが、4月の中旬の陽気に誘われて、運河沿いを歩いていると、ユリカモメの顔が、黒くなっていた。もちろん、まだ、全部ではないが、3割くらいが、真っ黒な顔、残りの7割も、顔のどこかしらが、黒くなりつつあるように見えた。運河も、夏モードに変わりつつあるというところだろうか。ご存知の通り、ユリカモメの羽は、真っ白なので、顔だけが、くっきりと、黒くなる光景は、非常に不思議である。グラデーションでもなく、首もとの白い毛が、あるところを境目に、突然、真っ黒な毛になるのである。さながら覆面をかぶっているか、仮面舞踏会のための仮面をかぶっているようである。動物学的には、何かしらの理由があるのであろうが、まったくガングロ(顔黒)になって、どういうメリットがあるのか、思いつかない。
ユリカモメを、もうすこし観察していて、もう1つ気がついた。ガングロユリカモメと、まだ白いユリカモメが手すりに並んでとまっているのを、比較してみると、異なるのは、顔の色だけでなく、肢の色が微妙に異なる。肢は、普段、オレンジと朱色の中間のような色をしていて、個体ごとに若干個体差があるのだが、ガングロのユリカモメの方が、全般的に肢が黒っぽいのだ。もちろん、異なる種類のユリカモメではなく、いずれ、近いうちに、すべてのユリカモメがガングロになったら、それらすべての肢が黒っぽく変色していくのであろう。たまたま、ガングロとそうでないのとが共存している時期であるからこそ気がつけたのかもしれない。とすると、やっぱり、黒いのは、日焼けの一種なのか(笑)?・・・
芝浦運河の年間の重要イベントの1つ、それを、4月19日に、とうとう発見した。カルガモの赤ちゃんである。運河沿いに、親に連れられて、10匹兄弟が、泳いでいた。カルガモは、水中の浮遊物などを食べるが、特に、赤ちゃんともなると、運河の両端の壁沿いに浮いている小さな浮遊物か、プランクトンでもいるのだろうか、壁沿いの何も浮いていないあたりの水をしきりにパクパクと、口の中に入れている。運河の壁沿いには、貝類や藻類などが付着しており、その周辺のプランクトンを食べているのか、あるいは、藻類自身を食べているのかもしれない。いずれにせよ、カルガモの赤ちゃんがついばんでいるものは、往々にして、私の目には、水にしか映らないような微細なものばかりである。
カルガモの赤ちゃんは、常に鳴いている。「ヒーヒー」と聞こえるかよわい声が、10匹分重なり合って聞こえる。親も、時折、「ぐぇっぐぇっ」と鳴いている。この次散歩するときからは、エサになるものを何か持ってこようと思った。
今年も、ゴールデンウィーク前のかわいい再会シーンとなった。
2003年5月の巻
運河に足を運ぶのが俄然楽しくなる。パンのあまりなど(できるだけバターなどを使っていないもの)を持って、運河に行くと、逃げもしないで、カルガモの一家が泳いでいる。よく見ると、14匹も赤ちゃんがいた。赤ちゃんの数で言うと、今までの最高記録である。他にも何組か家族は、いたが、その14匹兄弟の一家に狙いをしぼり、パンを与え始めた。
パンを小さくちぎって、投げてやると、かわいい雛たちが、先を争うように食べる。親もまじって、パンを食べる。意外なのは、雛の目の前に投げてやったのに、親が先に横取りしてしまうことである。常に、雛鳥を心配したりかわいがっている親のことであるから、当然、雛のエサを横取りするとは思いもしなかったのだが、「エサを早く食べないと、他の者に取られてしまう」大自然の基本ルールを、雛鳥に教えようとしているのであろうと、私になりに納得することにした。ただ、どう見ても、親鳥が一番がめつく食べていた。
一家は、永遠に私の投げ与えるパンを食べ続けるかと思われたが、結果的に、親鳥が、最初に満腹になった。満腹になった親鳥は、もうパンなんて見るのも嫌という表情になって、一切パンに反応しなくなった。雛達は、まだまだ食べたいらしく、投げるたびに、兄弟間で我先に、パンを奪い合った。親鳥は、飽きて、どこかよそに行きたそうにしていたが、雛鳥たちは、私の前から動かず、親は、少し離れたところで、雛鳥の食事が終わるのを待っていた。
4月に最初に見つけた一家と思われる10匹兄弟は、その後も、大きくなった姿を、時折見かけた。また、その一方では、また、新たに生まれたらしい、まだ小さい8匹兄弟なども見かけられた。次々と新しい生命が誕生し、親が、やさしく育てているほほえましい姿は、見るものに、生命の尊さを、改めて、思い出させてくれる。
5月後半になると、気の早い人たちが、ハゼ釣りや、スズキ釣りなどを始める姿を、たまにみかけるようになる。いよいよ夏っぽくなってきた。
ある日、芝浦運河から、少し足を伸ばして見た。北品川へである。今、私の会社は、中野にオフィスがあるのだが、来年のゴールデンウィークに、品川駅港南口に移転することが正式に決まった。港南口といっても、港区港南と品川区北品川をまたぐ土地で、北品川の商店街に、最も近いビルとなる。北品川というところは、もともと東海道53次の最初の宿場町が会った品川宿の名残で、今でも、宿場跡をしのぶ建物がいくつもある。あまり広くない目抜き通りを中心に、裏道まで、たくさんの小さい店が並んでいる。この日、北品川に行くと、ちょうど、品川神社の夏祭りをやっており、大賑わいであった。新興の新しい町や商店街のお祭りとは異なり、地元に長くすむ人々のとっては、年寄りから子供まで、老若男女入り混じっての、盛大なお祭りである。町の中は、ちょっとスペースがあれば、誰彼が何かつまみながら、酒を飲んでいる。懐かしい顔ぶれも、この日だけは揃うらしく、あちらこちらで、旧友との再会を果たしている人もいる。歴史ある北品川の住人たちが、少しうらやましく思った。私の行っているジムには、この北品川近辺から通っている人が多く、ジムで見かける顔も、ときどき混じっている。
2003年6月の巻
梅雨に入る。濡れた若葉は、美しい。植物がもっとも植物らしくある季節である。
雨がやむのを待って、私は、ジムに出かけた。雨上がりの運河沿い遊歩道には、お亡くなりになったミミズがたくさん転がっていた。死んだミミズを踏みつけなければならないこちらも迷惑だが、死んだミミズは、もっと迷惑だっただろう。なぜ、雨が降ったあとに、ミミズが地中から出ているのかは、よくわからないが、ミミズは酸素を必要とする生き物なので、地中が雨で水浸しになったら、溺れないために、やむをえず、地表に出て、地表で流されて、コンクリの上か何かに行き着いて、雨があがっても地中に戻れなくなり、死んでしまうのだと推測する。運が悪いミミズは、運河に、雨ごと流されて、それ以前に魚のエサになっていることだろう。
緑が美しい季節とは言え、桜の木の下は、できるだけよけて歩く。春は、美しい花をつけた桜も、葉桜となった後、毎年のように、派手な虫食いの姿となり、そこに立っている。虫食いの葉からは、いつ毛虫が落ちてきてもおかしくないような気がする。桜の木につく毛虫は、とくにたちが悪く、触っただけで、ひどくかぶれたり、毛虫の落とす粉(毛の粉末?)のようなものだけでも、皮膚がかぶれることがあるようだ。また、木に近づくほど、蚊にさされやすくなるので、できるだけ、桜には近寄らぬように歩く。
天王洲ふれあい橋の南詰には、TYハーバーカフェがある。週末には、結婚式が行われたり、そうでないときは、白人の外人がたくさんブランチをしている、のびりした運河沿いのご機嫌なカフェテラスである。このTYハーバーカフェの前で、少し育った10匹ほどのカルガモ兄弟を見つけた。カルガモの赤ちゃんは、ヒヨコに茶色い模様を入れたような見掛けだが、この兄弟は、すでに親を縮小したような感じの風貌に変わりつつある。牡蠣類や藻類のびっしり生えた鉄板付近に集まって、採餌をしていた。

今度は、運河で、カルガモの小さい赤ちゃんファミリーを発見した。運河の一部で遊歩道工事をしているので、少し移動したのかもしれない。遊歩道工事は、次々とあちこちで進んでおり、歩きやすくなっている。しかし、工事もいいが、できるだけ野生動物の生態に影響を与えず、むしろ保護する方向で進めてもらいたいものだ。
自宅の前の夕凪橋のたもとのあひる桟橋では、もっと小さいカルガモ一家を発見した。夕刻であったので、あまり活発ではなくなっていた。パンを投げると、親だけが、首を伸ばして、それを食べた。赤ちゃんたちは、一箇所にかたまってヒーヒー鳴いており、夕闇がせまってくるにしたがって、親鳥は、それらの雛に覆い被さる形で、夜を迎える準備をしていった。






この時期、ツバメがよく飛んでいる。鳴き声も常に、あちこちで聞こえる。ツバメは、意外に何種類もの鳴き方を持っており、目的でいろいろ使い分けているようだ。ツバメには、主に、喉の赤い(茶色い)ツバメと、山間部にいるイワツバメの2種類がいる。イワツバメは、体がずんぐりと丸っこく、ツバメは、もうすこしキレのある風貌だ。もちろん、ツバメの方が尾が長い。芝浦運河近辺、というより都内全般はそうなのであろうが、見かけるのは、みな、ツバメの方だ。北関東などの山間部に行くと、逆に、見かけるのは、みなイワツバメで、のどの赤いツバメは、まずお目にかかれない。
たまたま、栃木の方に行ったときに、イワツバメが、水溜りで泥をくわえては、巣に持ち帰り、巣を造成していた。巣のすぐ下にある水溜りとは言え、何度も何度も、ずっとその間を往復していた。水溜りが乾燥してきて、泥がとりづらくなったら、もっと巣から遠い水溜りに泥を求めて、とんでいった。鳥の世界でも、子育ての準備は、大変なようだ。
ジムの帰りに、高浜橋で、「ツーヒーツーヒー」と繰り返しなく声を耳にしたので、上を見上げたら、四十雀が、電線に止まって鳴いていた。四十雀は、このあたりでは、比較的よく見かける鳥だが、旧海岸通りのような車が一日中車がひっきりなしに通るようなところの、すぐ上の電線である。電線の上で、体を動かしたり、掻いたり、首をひねったり、しきりに動きながら、ずっと鳴き続けていた。
東京の真ん中でも、このようなかわいい鳥が、綺麗な鳴き声で、鳴いているのである。私以外の人は、誰一人、立ち止まって、鳥を見たり、さえずりを聞いたりしない。なぜだろう。四十雀は、私にしか見えないのだろうか。それとも、現代人は、鳥を見る余裕もないほど疲れてしまっているのか。それとも、四十雀は見えても、かわいいと思わないのか。とはいえ、この日記をつけ始める前の私も、街中で、鳥を見上げることは無かった。たぶん、鳴き声が聞こえても、「鳥自体は、みつけられっこない」と思っていたような気がする。
不景気な時代だからこそ、生きる目的や自信をを思い起こすためにも、野生動物の生き様を観察することは、重要なのではないだろうか。
ただ、運河沿いの桜の木の下は、できるだけ避けて通る。
2003年7月の巻
申し訳ありません。
勝手ながら、休刊とさせていただきました。
2003年8月の巻
8月前半は、驚くほどの冷夏だったが、盆から下旬にかけて、ようやく夏らしい天気になりつつあった。私は、盆休みに鈍った体を鍛えるべく、運河沿いにジムへと向かった。
自転車の方は、買ったばかりなのだが、使おうと思ったら、後輪のタイヤの空気が完全に抜けていた。イタズラか事故か判然としないが、空気を入れるところの金具がそっくりなくなっていて、完全に空気が抜けた状態になっていた。うちの近所には、自転車屋が少なく、修理するのは、一苦労である。修理し終わった自転車に乗って家に帰ってくるのは、少し遠くてもたやすいが、故障した自転車のタイヤをいたわりながら、遠く離れた自転車屋まで押して歩くのは、大変である。
というわけで、歩いて、浜路橋に向かう。浜路橋では、北側の浅瀬をいつも観察することにしている。この日は、汐が満ち始めており、狭くなりつつある浅瀬に、カルガモが10羽ほど群れていた。他にも、コサギとカラスが1羽ずつ、何かをついばんでいた。本来、カラスは、あまり浅瀬で採餌をしないが、カラスの個体によっては、いろいろ味の嗜好が異なるようで、汐の味がするものが好きな輩もいるのであろう。
浜路橋から新港南橋までの間の遊歩道は、左側沿岸(東側)を、歩くことにしている。右側は、まだ全面開通しておらず、途中までしか行けないからだ。もっとも、その全面開通しておらず、人が入り込まないエリアに、よくチュウサギやアオサギなどが遊んでいることもあるので、開通していないことを恨む気は毛頭ない。
浜路橋から新港南橋までの間は、運河内にはあまり変化が無いのではあるが、カルガモの親子を最もよく見かけるスポットである。この日も、8月下旬とはいえ、あかちゃんカルガモを5匹連れた母鳥が泳いでいるのを見かけることができた。まだまだ小さいところを、見ると、8月生まれのようだ。一番遅生まれといったところか。人間の場合は、4月生まれから翌3月生まれまで、クラスに揃っているものだが、カルガモの学校があったら、1クラスには、4月生まれから、せいぜい8月生まれまでで、おしまいということになろうか。
新港南橋たもとのテトラポットには、よくいろいろな鳥が戯れている。最近は、すぐ横で遊歩道などの工事をしているので、鳥を見かけることがすくなくなっているものの、こちらには、大きくなったカルガモのあかちゃんがいた。親鳥とはあきらかに大きさが違うものの、親鳥に近い模様に変化しつつあった。この早生まれと思われるカルガモの子供は、テトラポットの上に登り、ぴーぴーと鳴いていた。小さいあかちゃんは、どうあがいても、テトラポットの上に登ることはできない。テトラポットに登ること自体が、大きくなった証と言えよう。鳴き声は、ピーピーといったはっきりした声である。生まれたばかりの頃は、ヒーヒーとかすれた高い声でなくのだが、はっきりとした大きな声で鳴いていた。この声が、いずれか、グェーグェーに変化することになるはずだ。
水面を見ると、透明なクラゲが、ふわふわ浮いていた。夏の海は、盆を過ぎると、クラゲが多く発生するというが、芝浦運河にも、クラゲは、次々と入ってきていた。やはり、運河とはいえ、海の一部なのだなぁと思いつつ、幻想的な目の前の水面を見ていたそのときである。
水が突如大きく盛り上がって黒い形になった。ふわふわとしているクラゲ群の中からである。なんのことはないカワウの浮上であったが、静かにクラゲを見ているときであったから、SF映画の特撮で何かが出現したかのような衝撃であった。
カワウは、口に魚をくわえて、何食わぬ顔で、再び水中に潜っていった。人間が普通に生活しているその足元で、このように橋の下を見ると、いろいろな動物が自然界というところで、さまざまな生活を繰り広げているのだと改めて感心する。芝浦運河の橋を毎日わたっているサラリーマンの1人1人を捕まえて、「あなたはただの人間社会を生活しているつもりでしょうが、橋の下には、食物連鎖や弱肉強食の世界が繰り広げられているのですよ」と、この驚きを伝えたい気になる。
新港南橋から御楯橋へは、右岸からも左岸からも遊歩道があるが、左岸は、若干北側に入り口がないなど、あまり効率がよくない。私は右岸を選んだ。この先には、カモメ類などが中心で、水鳥の種類は減る。カルガモが3匹で泳いでいた。カルガモは、2匹の番で泳ぐか、もっと大勢で泳ぐかが多く、3匹で仲良くというのは、少ない。去年あたり生まれの兄弟かもしれない。
御楯橋から楽水橋までも、両岸が遊歩道になっている。ここは、どちらも魅力があるので、すでに右岸を進んできた私は、そのまま右岸を進む。去年まで右岸には、通路がなかったが、この冬に遊歩道ができたので、そちらを選ぶことが最近多くなった。帰りは、左岸(東側)を選ぶことが多い。そちらは、公園に隣接していて、水鳥以外の小鳥を多く見かけることができるからだ。
まだまだ残暑厳しいとは言え、あと2ヶ月くらいで、運河は、多くのお客様をシベリアなどの北国から迎えることになるだろう。運河が渡り鳥で埋め尽くされるのが、今から楽しみである。